皆さんは、世界三大投資家をご存知でしょうか。
世界三大投資家
- ウォーレン・バフェット
- ジョージ・ソロス
- ジム・ロジャーズ
三大投資家の資産額
- ウォーレン・バフェット 約9.6兆円
- ジョージ・ソロス 約8800億円
- ジム・ロジャーズ 約3700億円
特にバフェットの資産が図抜けています。
ちなみに2018年のカンボジアの国家予算は約6600億円程度です。
バフェットとソロスは国家予算を超える個人資産を保有していることになります。
これは驚くべきことです。
投資で資産形成をする人物はたくさんいますが、これほどの資産額にまで到達するにはやはり天賦の才が必要です。
それに加えてたゆまぬ努力や工夫が要求されることは容易に想像できます。 いったい、三人の天才たちはどのような人生を送ってきたのでしょうか。
今回は特に彼らの子供時代にスポットライトを当てていきます。
彼らの人生にはきっと成功するためのヒントが隠されているはずです。
目次
ウォーレン・バフェット
バフェットは三大投資家の中でも、おそらく最も有名でしょう。彼はバークシャー・ハサウェイという保険会社(実態は投資会社)のCEOを務めます。
「投資の神」「オマハの賢人」と呼ばれることも多い人物です。
同時に世界長者番付の常連でもあります。 超巨額の資産を持つ彼ですが、比較的質素な暮らしぶりで知られています。
なんでも、バークシャーから現金で受け取る報酬は、年にたった1000万円程度なのだとか。
バフェットの幼少期
そんなバフェットは1930年生まれ。現在の住居と同じ、ネブラスカ州オマハで生まれました。
父親は証券業を営む人物でした。
やはり、彼は投資家の血筋なのかもしれませんね。 彼の運命を決定づけたのは、7歳の時に出会った一冊の本です(10歳や11歳とする資料もあります)。
『1000ドル稼ぐ1000の方法』というその本に触発されたことによって、
バフェットは少年期をビジネスの試行錯誤に捧げることになりました。
具体的にバフェット少年が行ったビジネスは以下です。
バフェット少年のビジネス
- ガムやコーラの転売
- 週刊誌や新聞配達
- 祖父の店の店番
- ゴルフボールの販売
- 切手販売
- 中古ピンボールマシンを地元の散髪屋に設置する事業
この事業は退役軍人に1200ドルで売却することにもなりました。
高校生で事業売却を経験しているとはさすがですね。
初めての株購入
彼が初めて株を購入したのは11歳の時。銘柄はシティ・サービスです。
シティ・サービスと聞いてもピンとくる人は少ないかもしれません。
これは現在のCitgoという石油会社のことです。
といってもCitgoも日本人にはあまり馴染みがない会社ですね笑 11歳のバフェットはシティ・サービス株を自分に3株、姉にも3株購入しました。
しかし、この株取引はリターンが数%程度という微妙な結果に終わったようです。
この時点では天才の才能はまだ開花していません。
波乱の時期とその終わり
バフェットは高校時代は数学を好んでいました。しかし株式投資家を目指していたため、大学には行く意思はありませんでした。そんなバフェット青年は父親と衝突することになります。
先述のようにバフェット父は金融業界を知る人物ですが、息子にはまず大学で学ぶことを望みました。
結局父親の説得で、バフェットはペンシルバニア大学に進学します。
ところが、やはり大学進学は本意ではなかったのかすぐに中退することに。
この後、他の大学に入学したりと不安定な時期が続きます。 バフェットの人生の転機は師との出会いでした。
彼は人生の激動の時を経て、遂にコロンビア大学で教壇に立っていたベンジャミン・グレアムと巡り会います。
グレアムは割安株投資で利益を上げた人物です。
「シケモク作戦」と呼ばれた彼の投資手法は、簡単に言うと市場から過小評価された銘柄を拾い集めるというものでした。
Deep Value株と呼ばれる株です。 バフェットはこのグレアムとの出会いを経て、投資家としてその頭角を表していきます。
(ちなみに、グレアムの投資エッセンスを学びたい方はこちらからどうぞ)
その後のバフェットの活躍はあまりにも有名です。
バフェットはコカ・コーラやクラフト・ハインツ、アメックスなどへの投資で凄まじいリターンを上げて来ました。
また、最近ではアップルへの投資で大きなリターンを得ています。
そんなバフェットは現在90才を迎えようとしていますが、今なお生きる伝説として投資界で圧倒的な存在感を放っています。
ジョージ・ソロス
ジョージ・ソロスも非常に有名な投資家です。ハンガリー出身のユダヤ人である彼は、1930年生まれ。
バフェットと同い年です。
ポンドの強烈な空売りで利益を上げたことで名を上げ、「イングランド銀行を潰した男」と呼ばれます。
また、人口言語・エスペラントの話者であることでも知られます。 そんなソロスはどのような少年期を過ごしたのでしょうか。
過酷な少年時代
端的に言って、ソロスの少年期は困難に満ちていました。ユダヤ人であったソロスは、ナチスの迫害に苦しむ日々を過ごしました。
ソロスが13歳の時、ホロコーストが始まったのです。
ソロスの父親は、ソロスをナチスから逃れさせるため、偽の父親を仕立て上げます。
ソロスはキリスト教徒の息子を装うことになったのです。
しかし、この偽の父親の仕事はユダヤ人迫害に関係するものでした。
そして、ソロス自身も、ナチスの息がかかったユダヤ協会の一員になりました。
ユダヤ人でありながら、ユダヤ人を迫害する立場になるというのは悲劇ですね
彼は絶滅収容所に移送されるユダヤ人たちから収奪した財産の移送を手伝うことすらもありました。
しかしソロスが後に語ったところでは、その時は罪悪感を感じていなかったし、現在も特に感じていないとのこと。 他にも、ソ連軍とナチスの市街戦に巻き込まれるなど、過酷な経験を何度もしています。 大学入学後も、鉄道の荷運びなどをしながら自分の授業料と生活費を稼いでいました。この鉄道の仕事中に脚を骨折したこともあります。
ソロスの夢
苦労が多いソロス青年ですが、彼の夢は哲学者になること。そんな彼は大学でも哲学を学んでいました。
ちなみに彼の師匠、カール・ポパーは科学哲学の分野で超有名な人物です。
渡米と成功
哲学者として生きるためにまず資産を蓄えようと考えたソロスは、アメリカに渡ります。これが1956年のこと。
これ以降、彼の投資人生が本格的にスタートしていきます。 ソロスの少年期はあまりに過酷で、投資どころではないように思えます。 しかし、もしかするとソロスは大変な思いをするなかで、市場で生き残るしぶとさを身に着けたのかもしれません。 それは後年の彼のこの言葉にも現れています。
生き残れ。儲けるのはそれからだ。 ジョージ・ソロスソロスの原体験を考慮すると、非常に含蓄のある言葉ですね。
ジム・ロジャーズ
ジム・ロジャーズは1942年生まれのアメリカ人です。バフェットとソロスより12歳年下ですね。
ロジャーズは日本での人気が高い投資家です。
海外では、そもそも世界三大投資家というくくりはあまり一般的ではありません。海外ではロジャーよりもむしろピーター・リンチなどの投資家が話題に登ることが多い印象です。
早熟な才能と順調な人生
ロジャーズは5歳の時にピーナッツを売ったと言われています。やはり投資で名を上げる人物は、早くからビジネスへの関心が芽生えているケースが多いですね。
64年にイェール大学を卒業し、さらに2年後オックスフォード大学で修士号を取得しています。
まさに順風満帆と言った感じですね。
ロジャーズは後に先述のジョージ・ソロスと伝説のファンド「クォンタム・ファンド」で巨額の利益を上げます。
しかし、彼らの経歴は全く異なったものであることがわかりますね。
ロジャーズの投資対象は非常に幅広いことで知られています。
株、債券、通貨、コモディティと戦える分野が非常に広いのです。 安定した少年期の生活に中で、幅広い知識を吸収するための土台が出来ていったのかもしれませんね。
まとめ
世界三大投資家と言っても、それぞれ全く違った少年期を過ごしていました。特に目を引くのが、ジョージ・ソロスの体験です。
過酷な経験をすることで、時に投資家としてのたくましさを育てることができると気付かされます。 他にも、バフェットやロジャーズが早くから「自分でお金を稼ぐ」体験をしていたことも興味深いですね。
早期にビジネスの仕組みを理解することが、その後の成功につながるのかもしれません。 これからも、この3人の投資家には注目です。
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